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ヒマラヤの麓町ジョムソン、まさかの陸路脱出劇 4 ~死のドライブ完結編~

まず最初に、この一連の脱出劇はプライベートな旅ではなくお客さんを連れての仕事中に繰り広げられたということを覚えておいてもらいたい。会社の責任とお金を払って参加されているお客さん達の不安を一身に背負った危機的状態がいかに背筋の凍るものか、分かっていただけるだろう。 空路20分のところ、陸路12時間!過酷極まりない移動はいかにして行われたのか。実際の添乗中にこなした奇跡の脱出劇一部始終。

 

※今回とても写真を撮れる状況でなかったので、一部以外は当時のイメージに近い参考写真です。

■二度の裏切り

1時間近くが経ったであろうか。 さすがに皆ぐったりした様子で車内にうなだれている。

前回まではこちらをどうぞ↓

手をこまねいて待っているばかりではいられない。

私は車の外に様子を見にいくことにした。

その間、車内にいた全員に、こちらから声をかけない限りいかなる状況でも外に出ないようにして欲しい、と伝えた。また、うろちょろしていた某社ガイドにも、今度こそは勝手な行動を慎んで大人しくしておいてもらいたいと釘をさしておいた。

車外に出ると、一気にその混沌とした状況が目から耳から飛び込んでくる。

夜も遅いというのに暗闇の中にはヘッドライトとブレーキランプの明りが交差し、照らされた光の中には夥しいほどの人がひしめいていた。

Night traffic on Boudha Main road - Kathmandu Nepal | Flickr - Photo Sharing!

人と車とバイクの渦の中に私たちのミニバスがあり、そして少し離れた場所に一際人だかりができている。中心にいるのはうちのガイドだ。今まで乗ってきたミニバスのドライバーもいる。

ネパール語がけたたましく飛び交う中、私はやっとその輪の中ほどにまで辿り着いた。私に気付いたガイドも何か言いたそうな顔でこちらを見ている。そしてようやくガイドとコンタクトをとれるようになった。

どうやら今しがた決着がついたようだ。やはりこれまでのミニバスを乗り捨て、ここからはまた別のジープに乗り換えるとのこと。乗換のジープはこれからこちらに向かってくるはずだ・・・

・・・と、振り返るとミニバスを挟んで私たちと反対側には、いつの間にか泥だらけの頼りなげなジープが一台停まっていた。そして中から現地人ドライバーが降り、お客さんたちの待つミニバスの中へと入って行くところであった。

嫌な予感がした。

ガイドも同じことを思ったのだろう、弾かれたように私たちはバスの扉へと向かって人を掻き分けた。しかし、歩く毎に湧いてくる人の群れが邪魔をしてほんの数メートルの距離を進むのもままならない。

ミニバスに辿り着いた時には、すでに遅かった。

嫌な予感は見事的中。ミニバスの中には、既に例のへなちょこガイド、そして彼のお客さんたちは跡形もなく消えていた。席に座ったまま不安げな眼差しを向けているのはうちのお客さんだけだ。

おそらく、ジープのドライバーがバスに入ってきて、中にいた某社ガイドに「乗換はうちの車だ」と伝えた。

そして某社ガイドは私の注意したことなど無視して「車を乗り換えるから出ましょう」などと言った。きっとそこで「添乗員さんは合図があるまで外に出ないようにと言ってたはずよ」とか「○社のガイドさんと添乗員さんが戻るまで待ちましょう」といったやりとりがあったはずなのだ。

けれど某社ガイドに促され、某社のお客さんたちはそちらに従い、うちのお客さんたちは私の言葉を守って残ったということだ。 そして、実に悔しいことに、乗換の車は某社ガイドがさっさとお客さんを伴って乗り込んだその車でビンゴだったのだ・・・。

改めて、某社ガイドの姑息な態度、そしてこういう時だけ妙に働く彼の勘の良さというものを激しく呪った。同時に、いかなる状況でも外に出ないで欲しいという言葉を守ったうちのお客さんたちに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

■死のドライブ

そのジープはこれまでのものよりはるかに狭く、きちんとした座席の数に限りがあった。

後から乗った私たちは仕方なく、堅い間に合わせの椅子しかない荷台に乗る羽目になってしまった。皆、精神力は等しく限外なのだ。某社のお客さんたちも、やはり誰一人席を替わろうとする者はいなかった。

・・・突如、これまで終始ニコニコして最も愛想の良かった父娘連れのお客さんがキレた。

顔を真っ赤にして荒れ狂う初老の父親を前にして、私はまるで悪夢を見ているようだった。

何を言っているのかさえ聞き取れないほどに怒っている男性を、もはやなだめるほどの気力がある者はおらず、私はこの場ではひたすら謝るしかない。とにかく何でも良い、今は車に乗ってもらわなければ始まらないのだ。

こうしてようやく、ポカラまでの”死のドライブ”が再開されたわけである。

いよいよ夜は深まってきた。車は再び人工の光が一切ない山道へ入り、いくつもの峠を越える。 染み入るようなヒマラヤの寒さが身体を蝕み、思わず身震いした。

Night at Himalaya | Flickr - Photo Sharing!

車内ではドライバーが眠気覚ましのためかネパールの民族音楽のようなテープをかけ、それがエンドレスで繰り返される。

ひどい振動と、ぼんやりと前方を照らすライト、そして繰り返される歌い手の甲高い声・・・じきに意識が遠のき、瞼が閉じた。

■到着

突然ガイドに激しく肩を揺さぶられてハッと目を覚ました。気付くと辺りには疎らだが家々の明りが灯り、街の様相だ。

Pokhara, Nepal | Flickr - Photo Sharing!

着いた!ついに着いたのだ!!!

ジョムソンを発ってから計12時間。時刻は23時半を回ろうとしていた。

そこは、紛れもなくポカラの地だった。急遽おさえたホテルは某社と同じだったが、そんなことはもう良い。とにかく全員無事だったのだ。あの風の谷ジョムソンからここまで陸路で初の脱出に成功したのだ。今朝までいたジョムソンが、いまは最果ての地に思える。 喜びと安堵と疲労とで崩れ落ちそうになりながらも、ポーターやガイドと共にお客さんたちの荷物をケアする。

ホテルのエントランスに上がろうとしたその時、甲高い涙声が聞こえて思わず顔を上げた。

そこには、久々に見る某社の添乗員の姿があった。半分に分かれた彼女たちは、ジョムソンから唯一出た一便のフライトで先にポカラに行き、既に観光を済ませている。

大袈裟な身振りでお客さん達に向かって涙を流している女性添乗員は、私に向かってこういった。

「ほんっとうに、お疲れ様でした!」

そして、彼女は更にこう付け加えた。

「お詫びのしるしに、この後の食事でうちから○社さんのお客様にドリンクを一杯出させて頂きたいと思ってます。」

何か不手際があったりホテルや店の手違いや旅程で不具合があったときなど、ツアーでは通常別料金であるドリンクを、無料でつけたりなどして埋め合わせをするケースはよくある。今回は、某社が道中うちにお客さんを任せたお詫びとして一杯出すというのだった。

それは良いかもしれない。そうして彼女にも少し誤ってもらえればお客さん達の気も紛れるかもしれない。

「そうしてもらえると有難い、お願いします。」

私は即座にそう答えたのだった。

それがアダとなることも知らずに。

■悪夢

深夜0時。

ホテルに特別に用意してもらった食事の席で、某社の添乗員と私とは、お客さんを目の前にして並んで立っていた。まずは私から話し、そして某社の添乗員に繋ぐ。

これで少しはお客さんの気持ちも収まるかな。そんなことを考えながら、正直私は彼女の言葉をよく聞いていなかった。

ただ、先ほどから何だか様子がおかしいのだ。

意識を戻すと、隣で某社の添乗員が、ハラハラと大きな目に大粒の涙を浮かべて儚げに泣いている。そして彼女を慰めようと声をかけるお客さんたち。

「某社さんの添乗員さんは何も悪くないよ!悪いのはうちの添乗員だ!」

な、ななななにが起こったのだというのだ!?なんだこの展開は!? 私は、またしても脳天に重い鉛を落とされたような衝撃を感じ、めまいを感じた。 どうやら、私が悪いということになっているらしい。

某社さんは何から何まで仕事が早い。

(諸々の手配を縁の下でやってたのは全部こっち!それを某社ガイドが横取りしただけだ!!)

りんごを持ちあるいて配ったりなど気が利く。

(それはうちが分けてあげたもの!!)

自分のお客さんを最優先に考えて行動する精神が素晴らしい。

(某社ガイドがチームワークを乱して勝手に動いただけ!!)

それに比べてうちのガイドと添乗員は・・・某社さんの添乗員さんまで泣かせて。

嗚呼。

この後、やっとありついた食事なのに全く味を感じなかったのは想像に難くないだろう。

Dhalbhat in Pokhara | Flickr - Photo Sharing!

■和解

この史上最悪な状況で、明日はカトマンズに移動しパタンで最後の観光をしなければならない。食事の直後、私はガイドを呼び出した。

お客さん達に改めて状況をきちんと説明した上で謝ろう。

私たちは全道中を通じて常に全員の安全を最優先に考え、職務を怠った時など一瞬たりともない。会社が違うからと割り切って別行動することなんてむしろ普通なことだけれど、添乗員不在となった某社を助けたのだって、遠い異国で同じ日本人同士、手を差し伸べられる者が手助けするべきだと思ったからだ。何より、この素晴らしいネパールの地で、トラブルはあったけれど、結果皆に良い旅の思い出を作って帰ってもらいたかったのだ。それを誤解されたままでいるのは、あまりにも切なかった。

幸い、お客さんの部屋数は少ない。ガイドと私は疲れた身体に鞭を打ち、一部屋一部屋回ったのであった。

思いを伝えると、お客さん達は皆真剣な面持ちで話を聞いてくれ、最後には笑顔になってくれた。

ただ、一組を除いては。

■自問

例の父娘連れの部屋は、重苦しい空気に包まれていた。

ひとしきり説明し、誠心誠意謝った。

しかし、どうやら彼らの怒りはそんなことでは収まらないようだった。顔を真っ赤にして声を荒げる父親と、鋭い視線を投げかけてくる娘。あとはもう、彼らの怒りを受け止めるしか私達に術は無い。ひとしきり怒り散らした後、ようやく気が鎮まってきたのか父親は静かに一言付け加えた。

「Kさん(私の旧姓)には、私達のことを一番に考えて欲しかった。」

何故か、この最後の言葉だけは私の中にストレートに飛び込んできた。

そうか、そうかもしれない。実際には某社をほったらかして自分のお客さんだけをケアしていたのならば、それはそれで違うと思う。そんなことは彼らも分かっている。

けれど、彼らは不安でたまらなかったのだ。お客さんにとっては、この異国の地で、ある意味命は私達に委ねれらていると言っても過言ではない。そんな時、参加したツアーの添乗員が自分たちのことを真っ先に考えていてくれる、そういう揺るぎない安心感が欲しかったのだ。私は彼らにそれを与えることができていたか、そう問われると、その自信は無かった。

■旅のおわり

最終日の朝。

このホテルの屋上からは、ヒマラヤ山脈を構成する8000m級のアンナプルナ連邦が美しく見える。早朝屋上に上がると、既にお客さんたちは思い思いにカメラを構えてヒマラヤの雄大な風景を写真に収めていた。

その時、アンナプルナ連邦の真ん中に聳えるマチャプチャレが朝陽を受けて見事に染まった。一同から歓声が沸きあがる。

Machapuchare | Flickr - Photo Sharing!

「綺麗だから、背景にして撮ってあげますよ。」

そう声をかけられて振り向くと、あの父娘が立っていた。

・・・

ネパール添乗から数年が経とうとしていた。

私は結婚を期に旅行会社を退職し、嫁ぎ先で仕事をする日常を送っていた。

そこへ、かつての上司であり敬愛する先輩の一人であるM氏が訪ねてきたのだ。

ひとしきり思い出話に花を咲かせた後、M氏は実はと言って私に白い封筒を手渡したのだった。

彼女が最近添乗したツアーに父娘二人で参加したお客さんがいて、彼らから預かったものだという。以前ネパールの添乗でお世話になったKさんに渡してくれと頼まれたそうだ。

開けてみると中には手紙らしきものは何もなかった。その代わりに美しいヒマラヤの山々、マチャプチャレの朝焼け、そして懐かしい風の谷ジョムソンでの数日間の写真が入っていた。

最後の一枚に写っていたのは、まさしくあの一件があった翌朝のツアー最終日、空港へと向かうバンの中。難所を共に乗り越えたガイドのビベックと私の何気ない仕事姿だった。

写真の中の私は、なんだか張り詰めたような顔をしている。

そうだ、結局最後の一組だけには怒られたまま部屋を出てきたのだった。

リピーターが多いうちのツアーにあって、よりによって彼らは初参加者だった。その時の私は、初参加の父娘がどんな感想をもってこのツアーを終えるのか、やはり最後まで気が気じゃなかったのだ。こんな会社二度とゴメンだ、そう思われていても仕方がない怒り様だったからだ。

思い出に浸っている私を見てM氏が言った。

「あ、それからね。そのお客さん、あのネパールツアー以来、リピーター客になってるわよ。」

この写真は、数年越しに彼らが私にくれた、あのツアーの感想だったのかもしれない。

そっと目を閉じると、ヒマラヤの山間を縫って吹き荒ぶクリアな風や、あの日ジープの中で見ていた漆黒の闇夜を、驚くほどに鮮やかに思い出すことができる。

そういえばあの時、酷く揺れるジープの車窓から見上げた空には、信じられない数の星が輝いていたな。

Starshot | Flickr - Photo Sharing!​

私は写真をそっと封筒にしまうと、思わず笑みをこぼした。

END

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