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クロアチア・スロベニア絵になる風景と、ギリシャの絶景聖地へ1~パリ・ザグレブ~

今回は前半を一人旅、後半は母と妹が合流して三人旅という形をとった。

まずは一人旅部分。クロアチアまでの乗り継ぎではパリに立ち寄りその後ザグレブへ。スロベニアの絵葉書のような湖や、驚くべきギリシャ正教の絶景聖地へと足を伸ばす。

【旅行時期:3月末~4月初旬】

 

■ パリのカフェ模様

パリに降り立ったのは、まだ陽の登らない早朝5時過ぎであった。

私はすぐさまシャルルドゴール空港内、RERの駅のすぐ上にある荷物預けカウンターでスーツケースを預けると、Paris Nord駅に停まる列車に飛び乗った。

なぜなら、ザグレブへの乗継便までまだ7時間ほどあったからだ。

7時間という時間は、乗継中にパリ市内に出て帰って来るためにはまあまあの時間である。

Paris Nord駅からはメトロに乗り継ぎ数駅で目的地だ。空港からは小一時間で到着する。

目指していたのは、サンジェルマンデプレにある一軒のカフェだった。

「カフェの無かったパリなんて想像できる?」以前誰かがそう言っていたが、かつてカフェには名立たる作家や画家たちが集い、なるほどパリのカフェからは文学、芸術、様々な文化が花開いていった。

そんなパリのカフェ黄金時代を生きてきた老舗が、ここサンジェルマンにある。

ひとつは、カフェ・レ・ドゥ・マゴ。かつてはランボーらの待合せ場所となり、イ・アラゴンが通いつめてシュールレアリズムを生み出した。ピカソ、ヘミングウェイも常連だったという。

そしてもうひとつが、本日の目的、カフェ・ド・フロールこちらもマゴと同じく文学家、芸術家のたまり場となり、伝説の文芸・美術雑誌「ソワレ・ド・パリ」はここで生まれた。

カフェ・ド・フロールの独特の雰囲気は映画界の者たちも虜にした。ブリジット・バルドーやアラン・ドロンなど名立たる俳優たちもこぞってここへ通ったという。

こうしてパリ社会におけるカフェの地位は否が応にも上がって行き、いつしかこういったカフェで時間を過ごすこと、正確に言うと、その姿を人に見られること自体がステイタスの一つとなったのである。

すぐ目の前はサンジェルマン大通り。いつだったか、ここのカフェのギャンソンが著した本に書かれていた。カフェドフロールでは、客もギャルソンも常に見られることを意識している、と・・・

・・・「マダーム?」ハッと気付くと私はカフェドフロールの目の前に立っていた。不思議そうな顔をしたギャルソンと目が合うと、彼は私を中へと促した。

開店直後の店内には、まだ人は疎らであった。

3月末の朝のパリは肌寒い。私は外のテラスと店内との間にある席に座ることにした。そしてここの人気メニュー、オニオングラタンスープをすする。

かつては、サンジェルマンに昇る最初の朝陽をこのカフェで浴びることがステイタスだった。

それはもしかしたら今も変わっていないのかもしれない。

キビキビと動く360度隙のないギャルソンたち。テーブルにあしらわれた、カフェオリジナルのランチョンマット、年季の入った鈍く煌めくカトラリー。観光客で慌ただしくなる前に、ゆったりと朝の時を過ごそうという常連客たち。

サンジェルマンに降り注ぐ朝陽を受けて、なんだかとても、気分がいい。

エスプレッソを飲みきると、私はカフェドフロールを出た。

パリ発の文化はすなわち、カフェ発の文化である。それが頷けるほど、パリの街にはカフェがありふれている。

シャルルドゴール空港へ戻ったのは、午前10時頃だった。クロアチアの首都ザグレブへは、クロアチア航空のプロペラ機で3時間程度。

■ ザグレブ小散歩

初日の宿は今回もアパートと決めていた。

アパートの前で大家のジョゼップさんと待ち合わせ、鍵の開け方などを説明してもらいながら四階にある部屋へ。

内部は非常に充実していた。まずは玄関、コートかけや靴箱などもある。

広々として落ち着いた色調でまとめられたリビング。

洗濯機のついたバスルーム。

食器類も備え付けのキッチン。

こじんまりしているが窓もあり落ち着くベッドルーム。

これらが廊下でつながっている。

それでいてホテルのシングルをとるより安いとあっては、アパート滞在はなかなか病みつきになってしまう。

私は、オーナーの顔が見えるアパートや小さなゲストハウスに滞在するときは、日本から土産を持っていくことにしている。理由のひとつは感謝の気持ちと友好の印であるが、もうひとつは、日本の手土産・包み文化の素晴らしさを広めるためである。

あまり日本独特すぎるお菓子、例えばあんこものや抹茶味などは口に合わない場合もあるので、外国人にも抵抗が無いがある程度日本的なもの、クリームを挟んだ福渡せんべいや砂糖でコーティングされた一口サイズのかりんとう、小さめのカステラなどを持って行くととても喜ばれる。

加えて、必ず気を遣うのがパッケージの美しさ。こればかりは日本に敵う国は無いと思っている。

モロッコに持って行ったときは、パッケージの素晴らしさに感動してくれたオーナーが帰国後メールをくれ、包み紙や箱、紐、全てコレクションにして大事にとっておくと言ってくれた。

今回はかりんとう。ちょうど日本では桜が満開の頃ということで、桜模様があしらわれた厚手の包装紙で包まれた浅草小桜のパッケージ。手渡し用の紙袋までつけるのがポイントだ。

予想通り、ジョゼップさんは大変喜んでくれた。

荷物の整理をすると、さっそくザグレブの街へ繰り出した。

ザグレブは首都であるにも関わらず、こじんまりとしていて歩きやすい。平和で落ち着いた街であった。

クロアチアには、ネクタイ専門店「croataクロアタ」がある。

ネクタイは、実はクロアチアが発祥だということをご存知だろうか。ヨーロッパではネクタイの事を「クラバット」と呼ぶ。

かつて戦に出かけるクロアチアの兵士の首に、妻や恋人がお守りとして赤い布を巻いて送り出していた。それをパリでルイ14世が見初め側近にあれは何かと尋ねた。側近は、「クロアチア人(クラバット)です。」と答えた。以来、ルイ14世はクロアチア兵の首の布を真似て洒落たネクタイをデザインさせ、「クラバット」と呼ばれたそれはパリ中に広まり一世を風靡したのだった。

ザグレブはまた、カフェが多いことでも有名だ。クロアチア人の友人におすすめされていたカフェ「velvetベルベット」へ行ってみた。

アーティスティックな店内は観光客というよりも地元民がくつろぎ、それぞれの作業に没頭したりお喋りに興じたりしている。

広々としたカウンターで硬派な店員さんが黙々と珈琲を入れている感じもなかなか好きだ。

夕食は、これもまたオススメされていたクロアチア名物、シュトゥルクリのお店、「la struk ラ・シュトゥルク」へ。

こじんまりとした可愛らしい店内に清潔感のある木目の椅子とテーブル。感じの良い店員さんが一人、厨房とテーブルとの間を行き来していた。

シュトゥルクリは、ブルーベリーソース、ハチミツなどを使ったスウィーツ感覚のものと塩気のあるカッテージチーズのみを使った食事用のものがある。

ラザニアのような平たい生地とチーズを重ねシンプルに焼き上げていて、チーズは意外にあっさりとしている。女性の好きそうな逸品である。

お腹が満たされると、長旅の疲れからか眠気が襲ってきた。20時頃アパートへ帰ると、早めに床に入った。

明日は、お隣の国スロベニアにある絵葉書のような湖を求め、日帰りショートトリップへ。

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