まず最初に、この一連の脱出劇はプライベートな旅ではなくお客さんを連れての仕事中に繰り広げられたということを覚えておいてもらいたい。会社の責任とお金を払って参加されているお客さん達の不安を一身に背負った危機的状態がいかに背筋の凍るものか、分かっていただけるだろう。
空路20分のところ、陸路12時間!過酷極まりない移動はいかにして行われたのか。実際の添乗中にこなした奇跡の脱出劇一部始終。
■そして迎えた四日目
雄大なヒマラヤに囲まれた麓街ジョムソン。無事にトレッキングを終えたは良いが、山々の間を縫って吹き込む強風に煽られポカラまで戻るフライトが連日キャンセル。そして迎えた延泊四日目の朝、日本の会社とも相談を重ねた結果、本日陸路でポカラまで脱出することが決まったのだった。
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さて、ポカラまでの道のりは、山を越え川を越えオフロード並みの山道を小さなジープで10時間以上。そして、こともあろうにこの過酷な道中に加え、この時ジョムソンで居合わせた大手某社の団体に私たちは滅茶苦茶に翻弄されることとなるのである。
■違和感
大手某社に感じた違和感は今に始まったことではなかった。ジョムソンのホテルで初めて居合わせた時も、某社のツアーは3,000m近くあるこの街に下り立つや否や、高度順応の時間も置かずに数時間のトレッキングに出かけてしまったのだ。
2500mを越える高地では高山病にかかる可能性は誰にでもある。しばらく高度に体を慣れさせてから動かなければ大変なことになる危険がある。だからこそ私たちはジョムソンに降り立ってから少なくとも半日以上はホテルでゆっくり過ごしたり周辺を散策するに留めていたのだ。
しかも、その団体の中にはヒマラヤの山岳地帯をトレッキングするというのに、ヨーロッパの街角観光とでも勘違いしているのかヒールのあるパンプスで来ている女性がいたりした。案の定、1時間も経たぬうちに高山病で倒れた某社のお客さんたちは続々とリタイアして戻ってきた。
更にマズイことに、現地ガイドがお客さんと一緒に帰ってきてロビーでホテルのスタッフとお茶を飲んだりしてくつろいでいるのだ。
こういったケースでは、山岳経験豊富な現地ガイドが山に残りトレッキングを続け、添乗員が戻って病人のケアをするのが普通だ。その時から、うちの現地ガイドと私は彼らに感じた違和感を拭えないでいた。
■出発
ともあれ、当面の食糧であるリンゴとビスケット、そして現地ガイドと雇ったシェルパ、私とお客さん6人をぎゅうぎゅう詰めに乗せて、私たちの小さなジープはジョムソンを出発した。
某社も同じ事態に直面していたが、日本の本社とうまく連携がとれていないのかどうすべきか迷いに迷っているようだ。
そして結局某社は、唯一出た早朝のフライトで二つに分かれる決断を下していた。緊急事態でツアーが二分されるということはよくあるが、その別れ方がまたマズかった。添乗員がお客さん数名と先にさっさとポカラに行ってしまったのだ。残されたのは使えない現地ガイドと添乗員不在で路頭に迷うお客さん数名。
この時も、ガイドが先発でポカラに行き問題なく観光を進めていてもらい、より判断が必要な不安要素の多い後発隊に添乗員が残るという選択をとるのが正解のはずだ(と新人添乗研修でも習った)。
ジープを首尾よく手配し出発の準備をしだした私たちを見て、添乗員不在となった某社のガイドも同じ方法をとることに決めたようだ。中には不安そうにこちらに様子を伺いにくるお客さんもいた。
ここは同じ日本人同士、やはり放っておくわけにはいかない。もはや日本人団体で添乗員は私一人だけなのだ。そこで私たちは彼らを先導し、同じ経路で力を合わせてポカラを目指そうということになった。
■土砂崩れ
年季の入ったジープの後部座席は窓際が長椅子のようになっていて、向かい合って座るようになっている。6人+ガイドと私は肩を寄せ合って席に座りジープは走り出した。
1時間もいかないうちに、かろうじて集落の気配があったジョムソン一帯を抜け、オフロードの雰囲気満点な山道へと入って行く。山道を走ったかと思うと谷へと降りて、やたらと増水した谷川をザブザブいいながらジープごと渡りきる。
一日はまだ始まったばかり。時間的に余裕があるからか秘境に慣れたお客さんばかりだからか、まだそれほど悲痛な状態ではない。全員がこの予期せぬ冒険旅行に興奮しているのか状況を楽しむ余裕さえあった。
しかし、その楽観的な状況も長くは続かなかった。
3時間ほど走っただろうか。ジープは上り坂の山道で突如停止した。ガイドとドライバーが深刻な面持ちで何事か喋っている。辺りは取りつく島が無いほどに深い山の風景だ。
と、ガイドから信じられない事態が通告された。
どうやらここから先は車が通れないらしい。先日降った大雨のお陰で土砂崩れが発生し車の通行が禁止されているという。ただし、ここから数キロ離れた村で再度ジープを手配できるとのこと。
引き返すか、進むか。
刻一刻と過ぎてゆく時間。ガイドと話し合った結果、ジープを乗り捨てここからは歩いて進むことになった。お客さんには軽いリュックだけ持ってもらい、ジョムソン滞在分の大きな荷物は、シェルパ、ガイド、私の三人で分担して持つことにした。なにしろこんなところでお客さんたちにダウンされては困るのだ。
次の村までコースタイムはおそらく1時間半程度。何を隠そう、不安で心臓が止まりそうなのは添乗員であるこの私だ。遠ざかるジープに別れを告げて、大丈夫だと自分に言い聞かせた。
■ランチ休憩
30分ほど歩いたところで簡易休憩所のような場所があった。といっても、ビニールで屋根を作った掘っ立て小屋のような程度だ。時刻は13時をまわっている。ここでひとまずランチ休憩とすることにした。
食糧はジョムソン出発前に手配しておいたリンゴとビスケット。そして、私が持ち歩いていた紅茶をミネラルウォーターで沸かし、即席のエネルギー補給とした。
どこで昼を食べられるか分からないということで、ホテルでの朝食は各自たっぷり食べてもらっていた。しかし、肌寒い山道を歩き続けたからか、冷えた身体に温かい紅茶と甘いビスケットは沁みわたり、歯ごたえあるリンゴは腹を満たした。
と、そこへ一足遅れて辿り着いた某社のガイドが現れた。彼のお客さんたちはまだ後ろの方を歩いている。
某社は本来ポカラで朝食をする予定にしていたらしく、今朝ジョムソンのホテルでは朝食をとっていなかったらしい。その上、あわててジープ手配をしたからか昼食のことを考えておらず何も食糧をもっていないとのこと。
某社のガイドは私たちに助けを求めてきた。明らかに準備不足なのは某社の添乗員とガイドの責任だが、お客さんたちには罪はない。こんな緊急事態では助けられるものが手を差し伸べるべきだ。
数えると、私たちのリンゴとビスケットにはまだ余裕があった。そこで、残りの食糧を某社ガイドに譲って私たちは先へ進むことにした。
■やっと辿り着いた中継地点
更に1時間ほど山道を歩いただろうか。何も無かった道が僅かばかり活気付き、人の声や車のエンジン音が聞こえて来た時の安堵感といったらない。
坂道を登りきると、そこは小さな山村のバスステーションのようになっていた。
土埃の立つ停留所のスペースには泥だらけの小型バスが何台か停まっている。近くには先ほどの掘立小屋をもう少し大きくしたような小屋が並び、一応飲み物や煙草、ちょっとした菓子類などが売っている。そこにはバスやジープのチャーターを差配しているらしき、痩せた男が仲間と話し込んでいた。
私はお客さんを連れてトイレを済ませ小屋の中で集まって休める場所を探しに、ガイドは男にジープのチャーター手配を頼みに行った。
そこへ、ようやく某社の団体が到着した。さすがにお客さんたちも疲れているだろう。彼らにとって、あのガイドは不安要素以外の何物でもないはずだ。こういう時こそ添乗員の出番なのだ。疲労困憊の様子で入ってきた彼らを迎え入れ、常に持ち歩いているウエットティッシュや日本から持ってきたお菓子類を配ったりして状況説明をした。
ところが、彼らの口から出た言葉に、危うく飲んでいたお茶を噴きそうになった。
某社お客さん:「○社さんはお昼はどうしましたか?」
私:「緊急用にジョムソンで手配しておいたリンゴとビスケットを食べましたよ。 (あなたたちに分けたものですよ~)」
某社お客さん:「あら、偶然ね!うちも、ガイドさんが気を利かせてリンゴとビスケットを調達しておいてくれたものだから、とっても助かったわ!」
な、なにぃ!あの状況で朝食も食べず昼食のことも何一つ考えてないがために、私たちが分けてあげたなけなしのリンゴとビスケット!某社ガイドはちゃっかり自分の手柄にしてやがるではないか・・・!
内心、ガイドのへなちょこぶりに腹が立つこと限り無かったが、まあここでムキになって彼らに真実を明かすことにさほど意味は無い。自分たちのツアーガイドの無能ぶりを知ってこの後の道を任せるのも不安だろうと、グッと言葉を飲み込んだのだった。
一方某社のガイドは乗継ジープの手配にかかっていたうちのガイドの所に行って何か話している様子。
状況はこうだ。
現在15時過ぎ。いくら中継バスステーションといっても、ここはなにしろ深い山奥の村。ジープ一一台街からよこすのにも時間がかかるのである。次のジープが来るのは3時間後。そして、呼べるのは一台だけだそうだ。もう一台呼ぼうとするとその一台は一体何時に着くか分からないとのこと。したがって、早くとも迎えがくるのは18時頃になる。ここからポカラまではまだ5時間程度かかる。そして、ここで一夜を明かすのは絶対に無理だということだ。
選択肢は一つしかない。
ジープ一台に私たちと某社の全員が乗るということ。賢くて機転がきき、気遣い上手なうちの有能ガイドがちゃっちゃと話をつけて、ここまで既に手配済みだ。あとはジープを待つのみ。
うちのガイドも某社のガイドは危険だと判断していたのか、迎えのジープが来たら気付いた方がいち早く乗るのではなく、一旦きちんと手配したジープかどう両社確認をして、私たちと某社のお客さんを一度集め、それから全員で乗ることを徹底しようという話になった。
お客さんたちは、こんな状況下でもやはりどこか気楽である。添乗員とガイドがなんとかしてくれるだろうと思っているのだ。秘境に慣れたお客さんたちは、こんな経験も普通のツアーじゃなかなかできないわよね~、と和やかな雰囲気でいてくれているのが幸いだ。私も不安以外何物でもない内心を隠し、涼しい顔でお客さんたちと談笑するのである。
こうして、ジープが来るまでの3時間、この山村の待合所でひたすら待つこととなった。
次回、さらにこの某社ガイドに手を焼くこととなる・・・
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